スポンサーサイト
2015年06月07日
トルコ海軍フリゲート艦ゲディズ (TCG GEDIZ, F-495)
木曜に横浜で研修があり「やった!経費で東京へ行けるぞ!!」という事で、次の日の金曜は関西へ帰らず有給休暇にして晴海ふ頭へ行き、入港して来たトルコ海軍フリゲート艦「TCG ゲディズ」を見学して来ました。
いや、去年に奈良・和歌山を一泊ドライブしてきた時、前から訪れたかったエルトゥールル号殉難将士慰霊碑とトルコ記念館に行ってから、にわかにトルコやオスマン帝国に興味を持ったのですね。
で、ツイッターとかでアンテナを伸ばしてたわけです。
港に翻る、トルコと日本の国旗。
双方、白と赤のコントラストで、美しい。
中を見て歩いてて、英語の表示板が所々に残っているので
「これ、米軍の供与艦艇か払い下げ艦じゃないの?」
と思い、もらったパンフレット読んだら、やっぱりそうでした。
G級フリゲート
http://ja.wikipedia.org/wiki/G%E7%B4%9A%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88
「先に敵を見つけさえすれば、もうこっちのもの。後はミサイルにお任せだ!」
(30年前のテレ東の番組より)
外から見ると、もう最近では旧式になったMk13ミサイルランチャーが目立つので「それしか無いのか」と思ったら、Mk41垂直発射ミサイルシステムも付いてたのね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Mk_13_(%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E7%99%BA%E5%B0%84%E6%A9%9F)
http://ja.wikipedia.org/wiki/Mk_41_(%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E7%99%BA%E5%B0%84%E6%A9%9F)
「それを叩き落とすのが、近接防御火力である。
イタリア製のオットーメララ・3インチ砲の連射。一分間に60発!」
(30年前のテレ東の番組より)
もう西側中・小型艦艇の備砲のスタンダードとしてすっかり定着した、オットーメララ社の76ミリ速射砲。
昔は「3インチ速射砲」って言ったのに、最近は言わんのね。
マニアの人が「3インチ?」って聞いたら、トルコ士官に「それ違う」って言われてた・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A9_76_mm_%E7%A0%B2
この絵ですが、今から丁度100年前、第一次大戦のガリポリの戦い(トルコでは「チャナッカレの戦い」と言う)での英雄、シェイット伍長です。
彼は、英仏艦隊と沿岸要塞との間での砲撃戦の際、多くの同僚が艦砲射撃の着弾で倒れる中、揚弾器具を用いず一人で275kgもある砲弾を後ろ手で担ぎ、要塞砲へ運び揚げたと言われます。
チャナッカレの戦いを描いた映画やマンガによく登場します。
http://tr.wikipedia.org/wiki/Seyit_Ali_%C3%87abuk
https://www.youtube.com/watch?v=2k3fj__qwNM
https://www.youtube.com/watch?v=X9z-Sq1UyJw
https://www.youtube.com/watch?v=u9OlJVf47pM
っていうか、向こうの国にも「アニメンタリー・決断」みたいなの有んのね・・・
さて、イスタンブールの軍事博物館では、この戦いで使われたクルップ社製の要塞砲が置いてあり、近年、その砲側に砲弾を担ぐ彼の銅像が置かれました。
同博物館所属のオスマン軍楽隊「メフテル」が毎日演奏を行うところでもあります。
https://www.youtube.com/watch?v=kpOl4kxgD1c&index=10&list=RDJqFNIdxHYYY
射撃指揮装置、かな?
「そして、20ミリバルカン・ファランクスは、一分間に3000発の弾幕でミサイルを撃ち落とす。
ミサイル万能の時代に、ガトリング砲が男を挙げる!」
(30年前のry
個艦防御機関砲 ファランクス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9_(%E7%81%AB%E5%99%A8)
自爆ボート攻撃や臨検時に対応して、片側に二挺ずつ装備されているMG3機関銃。
トルコのライセンス生産品ですかね? 刻印からして。
しかし、着けっぱなのだから仕方ないですが、錆が・・・
40mmレールが付いたのが一丁だけ有りました。
M2重機関銃。
防盾の裏側に、対艦ミサイルがどういう挙動で艦に突っ込んでくるのか等が図示されている。
まさかこの機関銃で打ち落とせるものではないけれど、警戒要員としては知っておかねばならぬ事なのでしょうね。
武装兵。
G3小銃は陸軍では更新が進んでいますが、海軍ではまだまだ現役なのでしょうね。
短靴履いて、黒の靴下でズボンの裾をまとめている様は、日本の町工場の職工さんみたいでした。
H&Kの短機関銃持った下士官は臨検隊員でしょうか?
しかし、これも薄く錆が・・・銃口に人差し指突っ込んでるしw
艦砲見ていたら、ずすずいっと格納庫から引き出されて来た対潜ヘリ。
おまけ。
海上保安官が拳銃携帯しているの初めて見た。
見学時に頂いた配布物。
エルトゥールル号遭難事件の顛末が書かれた本、エルトゥールル号のステッカーとしおり、TCGゲディズのパンフレット、エスコート艦である護衛艦たかなみのパンフレット。
顛末本の裏表紙
え!?
そこが横浜・・・?
いや、去年に奈良・和歌山を一泊ドライブしてきた時、前から訪れたかったエルトゥールル号殉難将士慰霊碑とトルコ記念館に行ってから、にわかにトルコやオスマン帝国に興味を持ったのですね。
で、ツイッターとかでアンテナを伸ばしてたわけです。
港に翻る、トルコと日本の国旗。
双方、白と赤のコントラストで、美しい。
中を見て歩いてて、英語の表示板が所々に残っているので
「これ、米軍の供与艦艇か払い下げ艦じゃないの?」
と思い、もらったパンフレット読んだら、やっぱりそうでした。
G級フリゲート
http://ja.wikipedia.org/wiki/G%E7%B4%9A%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88
「先に敵を見つけさえすれば、もうこっちのもの。後はミサイルにお任せだ!」
(30年前のテレ東の番組より)
外から見ると、もう最近では旧式になったMk13ミサイルランチャーが目立つので「それしか無いのか」と思ったら、Mk41垂直発射ミサイルシステムも付いてたのね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Mk_13_(%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E7%99%BA%E5%B0%84%E6%A9%9F)
http://ja.wikipedia.org/wiki/Mk_41_(%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E7%99%BA%E5%B0%84%E6%A9%9F)
「それを叩き落とすのが、近接防御火力である。
イタリア製のオットーメララ・3インチ砲の連射。一分間に60発!」
(30年前のテレ東の番組より)
もう西側中・小型艦艇の備砲のスタンダードとしてすっかり定着した、オットーメララ社の76ミリ速射砲。
昔は「3インチ速射砲」って言ったのに、最近は言わんのね。
マニアの人が「3インチ?」って聞いたら、トルコ士官に「それ違う」って言われてた・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A9_76_mm_%E7%A0%B2
この絵ですが、今から丁度100年前、第一次大戦のガリポリの戦い(トルコでは「チャナッカレの戦い」と言う)での英雄、シェイット伍長です。
彼は、英仏艦隊と沿岸要塞との間での砲撃戦の際、多くの同僚が艦砲射撃の着弾で倒れる中、揚弾器具を用いず一人で275kgもある砲弾を後ろ手で担ぎ、要塞砲へ運び揚げたと言われます。
チャナッカレの戦いを描いた映画やマンガによく登場します。
http://tr.wikipedia.org/wiki/Seyit_Ali_%C3%87abuk
https://www.youtube.com/watch?v=2k3fj__qwNM
https://www.youtube.com/watch?v=X9z-Sq1UyJw
https://www.youtube.com/watch?v=u9OlJVf47pM
っていうか、向こうの国にも「アニメンタリー・決断」みたいなの有んのね・・・
さて、イスタンブールの軍事博物館では、この戦いで使われたクルップ社製の要塞砲が置いてあり、近年、その砲側に砲弾を担ぐ彼の銅像が置かれました。
同博物館所属のオスマン軍楽隊「メフテル」が毎日演奏を行うところでもあります。
https://www.youtube.com/watch?v=kpOl4kxgD1c&index=10&list=RDJqFNIdxHYYY
射撃指揮装置、かな?
「そして、20ミリバルカン・ファランクスは、一分間に3000発の弾幕でミサイルを撃ち落とす。
ミサイル万能の時代に、ガトリング砲が男を挙げる!」
(30年前のry
個艦防御機関砲 ファランクス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9_(%E7%81%AB%E5%99%A8)
自爆ボート攻撃や臨検時に対応して、片側に二挺ずつ装備されているMG3機関銃。
トルコのライセンス生産品ですかね? 刻印からして。
しかし、着けっぱなのだから仕方ないですが、錆が・・・
40mmレールが付いたのが一丁だけ有りました。
M2重機関銃。
防盾の裏側に、対艦ミサイルがどういう挙動で艦に突っ込んでくるのか等が図示されている。
まさかこの機関銃で打ち落とせるものではないけれど、警戒要員としては知っておかねばならぬ事なのでしょうね。
武装兵。
G3小銃は陸軍では更新が進んでいますが、海軍ではまだまだ現役なのでしょうね。
短靴履いて、黒の靴下でズボンの裾をまとめている様は、日本の町工場の職工さんみたいでした。
H&Kの短機関銃持った下士官は臨検隊員でしょうか?
しかし、これも薄く錆が・・・銃口に人差し指突っ込んでるしw
艦砲見ていたら、ずすずいっと格納庫から引き出されて来た対潜ヘリ。
おまけ。
海上保安官が拳銃携帯しているの初めて見た。
見学時に頂いた配布物。
エルトゥールル号遭難事件の顛末が書かれた本、エルトゥールル号のステッカーとしおり、TCGゲディズのパンフレット、エスコート艦である護衛艦たかなみのパンフレット。
顛末本の裏表紙
え!?
そこが横浜・・・?
2015年02月11日
今日のドキュメンタリー
NHK ドキュメンタリーWAVE
http://www.nhk.or.jp/documentary/
アフガニスタンの遠い春
~密着 陸軍重兵器中隊~
放送:2月11日(水)22:00~22:49
再放送:3月 4日(水)17:00~17:49
2014年末、あの9.11テロ以来13年間、アフガニスタンに駐留していた国際部隊が撤退した。反政府武装勢力タリバンの攻勢が強まる中、今後は、アフガニスタンの治安と安全は政府軍に委ねられる。アフガニスタンの未来はどうなるのか?アフガニスタン南部最大の州であるヘルマンド州はNATOとアフガニスタン国軍の共同作戦が実施され、タリバン掃討の最前線である。前線の兵士たちは何を思い戦っているのか?同胞であり、敵であるタリバンへの複雑な感情、この戦争の意味を問い、苦悩する姿・・・。番組は、アフガニスタン軍部隊の兵士たちに密着した貴重な映像をもとに、この戦闘がアフガニスタンに何をもたらしたのか、見つめていく。
おお、アフガン国軍のドキュメンタリーだ!
これは絶対見ないといけねーな。
http://www.nhk.or.jp/documentary/
アフガニスタンの遠い春
~密着 陸軍重兵器中隊~
放送:2月11日(水)22:00~22:49
再放送:3月 4日(水)17:00~17:49
2014年末、あの9.11テロ以来13年間、アフガニスタンに駐留していた国際部隊が撤退した。反政府武装勢力タリバンの攻勢が強まる中、今後は、アフガニスタンの治安と安全は政府軍に委ねられる。アフガニスタンの未来はどうなるのか?アフガニスタン南部最大の州であるヘルマンド州はNATOとアフガニスタン国軍の共同作戦が実施され、タリバン掃討の最前線である。前線の兵士たちは何を思い戦っているのか?同胞であり、敵であるタリバンへの複雑な感情、この戦争の意味を問い、苦悩する姿・・・。番組は、アフガニスタン軍部隊の兵士たちに密着した貴重な映像をもとに、この戦闘がアフガニスタンに何をもたらしたのか、見つめていく。
おお、アフガン国軍のドキュメンタリーだ!
これは絶対見ないといけねーな。
2015年01月02日
オストフロント
12月半ば、リアル世界の仕事がひと段落した頃「ざ・オストフロント」に参戦してきました。
まー戦闘当日に補充兵みたいな形で、でしたが。
そしたら先輩もそんな感じで来てたので驚きました。
残念ながらドイツ軍側だったけど。
私の配属は第2小隊。
個人参加の人は、ほとんど2小隊だったみたいですね。
以下の画像はメシ画像以外、全部公式撮影分からです。
当日の装備はこんな感じ。
数年前モーリー氏に歩兵リュックひとつ潰して脱色してから作ってもらったスコップカバーと水筒ポーチ。
それに20年以上前に、火事延焼になる前のMASHで買った水筒本体とスコップ本体を収納。
ガスマスクバックは数年前に買った、レプリカ再現性という点では忠実では無いのだけど、ゲームには使い易いロシア製のレプリカ。
制服のギムナスチョルカ上下は霜降り生地のロシア製。
でも寒いので戦後ロットだけど二次大戦型のティログレイカを上から着用。
ブーツは中国軍の戦車兵用。
HIKIで「ソ連軍用」として堂々売ってると聞いたのでw
下士官から指示を受け、それぞれ配置に着く。
狙撃手と待ち伏せ中
午前中の早い時間は雪が舞っていて、マジで東部戦線の雰囲気。
陣地内で待機中の2小隊。
狙撃手と遅滞行動して帰ってきたばかりの私たちはともかく、皆さんは夜寒くてあまり眠れなかったのか、この時ガチで寝ておられました。
支給を受けた昼飯。
マジの向こうの食べ物でした・・・飲み物は紅茶。
対空機銃班。
カッコイイ・・・数連射で故障したのが残念。
さて、久々にヒストリカルったものですから、結局最後までヒスやる頭に切り替わらず、周りにご迷惑をおかけしたのが心残り。
ただ、リアル世界では人に指示を出す仕事をやってる中、この時は一兵卒で「一方的に指示を出される立場」だったので、なんというか、気分がとても楽でしたね。
反対に、浮動する状況によってあれこれ指示命令を出さねばならぬ下士官は、見ているだけで大変そうでしたが。
まー戦闘当日に補充兵みたいな形で、でしたが。
そしたら先輩もそんな感じで来てたので驚きました。
残念ながらドイツ軍側だったけど。
私の配属は第2小隊。
個人参加の人は、ほとんど2小隊だったみたいですね。
以下の画像はメシ画像以外、全部公式撮影分からです。
当日の装備はこんな感じ。
数年前モーリー氏に歩兵リュックひとつ潰して脱色してから作ってもらったスコップカバーと水筒ポーチ。
それに20年以上前に、火事延焼になる前のMASHで買った水筒本体とスコップ本体を収納。
ガスマスクバックは数年前に買った、レプリカ再現性という点では忠実では無いのだけど、ゲームには使い易いロシア製のレプリカ。
制服のギムナスチョルカ上下は霜降り生地のロシア製。
でも寒いので戦後ロットだけど二次大戦型のティログレイカを上から着用。
ブーツは中国軍の戦車兵用。
HIKIで「ソ連軍用」として堂々売ってると聞いたのでw
下士官から指示を受け、それぞれ配置に着く。
狙撃手と待ち伏せ中
午前中の早い時間は雪が舞っていて、マジで東部戦線の雰囲気。
陣地内で待機中の2小隊。
狙撃手と遅滞行動して帰ってきたばかりの私たちはともかく、皆さんは夜寒くてあまり眠れなかったのか、この時ガチで寝ておられました。
支給を受けた昼飯。
マジの向こうの食べ物でした・・・飲み物は紅茶。
対空機銃班。
カッコイイ・・・数連射で故障したのが残念。
さて、久々にヒストリカルったものですから、結局最後までヒスやる頭に切り替わらず、周りにご迷惑をおかけしたのが心残り。
ただ、リアル世界では人に指示を出す仕事をやってる中、この時は一兵卒で「一方的に指示を出される立場」だったので、なんというか、気分がとても楽でしたね。
反対に、浮動する状況によってあれこれ指示命令を出さねばならぬ下士官は、見ているだけで大変そうでしたが。
2014年05月23日
鉄砲足軽 2
さて先日の続き。
大工をやってる先輩が、木製の盾まで作ってきましたw
これは「掻盾」とか「垣盾」とか呼ばれるもので、合戦で鉄砲の使用が主流になると、このように鉄砲の筒先を出すための「鉄砲狭間」が孔けられた物も登場したようです。
防御側は、このようにしっかりと作られた物を使用したと思われますが、「寄手」、すなわち攻略側は、相手の領地内で橋やら家屋敷やらの木材を引っ剥がして作製したので、こんな立派な物では無かったでしょう。
その土地に土着して暮らす庶民からしたら、戦になると直接自分の土地が広範囲に荒らされるため、本当にたまったものでは無かったろうと思います。
さらに現代とは違い、全ての物の生産性が低かった貧乏国日本では、なおさらだったと思います。
盾一つをとっても、そんな事が見えてきます。
裏側。
裏側は少し手抜きをしてるかな?
横木に穴を開けているのは、ここに足を取り付けて、軍議や飯を喰う時のテーブルとして使えるようにするためのものです。
先輩芸が細かい・・・w
狙いをつけてみました。
なかなかいい感じ。
そういえば今の警察でも、このようにピストルポートが孔けられた四角い防弾盾が制定されてましたね。
私が子供の頃は山口組と一和会の暴力団抗争、通称「山一抗争」の真っ只中だったので、神戸市内などで時折その盾を見かけたものです(苦笑)
先輩が持って来た長槍を貸してもらい、構えてみました。
3.5メートルそこそこの、そこそこ偉い人が持つような、少し装飾を施した長槍です。
槍足軽が持ってた長柄槍はもっと質素でもっと長く、織田信長などは
「長ければ長いほど戦では有利。また、強そうにも見える」
と考え、他の軍勢よりも1メートル程度長い、6.4メートル(三間半)の長柄槍を装備させたそうです。
オマケ
槍を振り回す先輩w
私信:G君、早く君も来たまえよ。
大工をやってる先輩が、木製の盾まで作ってきましたw
これは「掻盾」とか「垣盾」とか呼ばれるもので、合戦で鉄砲の使用が主流になると、このように鉄砲の筒先を出すための「鉄砲狭間」が孔けられた物も登場したようです。
防御側は、このようにしっかりと作られた物を使用したと思われますが、「寄手」、すなわち攻略側は、相手の領地内で橋やら家屋敷やらの木材を引っ剥がして作製したので、こんな立派な物では無かったでしょう。
その土地に土着して暮らす庶民からしたら、戦になると直接自分の土地が広範囲に荒らされるため、本当にたまったものでは無かったろうと思います。
さらに現代とは違い、全ての物の生産性が低かった貧乏国日本では、なおさらだったと思います。
盾一つをとっても、そんな事が見えてきます。
裏側。
裏側は少し手抜きをしてるかな?
横木に穴を開けているのは、ここに足を取り付けて、軍議や飯を喰う時のテーブルとして使えるようにするためのものです。
先輩芸が細かい・・・w
狙いをつけてみました。
なかなかいい感じ。
そういえば今の警察でも、このようにピストルポートが孔けられた四角い防弾盾が制定されてましたね。
私が子供の頃は山口組と一和会の暴力団抗争、通称「山一抗争」の真っ只中だったので、神戸市内などで時折その盾を見かけたものです(苦笑)
先輩が持って来た長槍を貸してもらい、構えてみました。
3.5メートルそこそこの、そこそこ偉い人が持つような、少し装飾を施した長槍です。
槍足軽が持ってた長柄槍はもっと質素でもっと長く、織田信長などは
「長ければ長いほど戦では有利。また、強そうにも見える」
と考え、他の軍勢よりも1メートル程度長い、6.4メートル(三間半)の長柄槍を装備させたそうです。
オマケ
槍を振り回す先輩w
私信:G君、早く君も来たまえよ。
2014年05月20日
鉄砲足軽 1
「どうせなら何か背景のある所で写真とりたいよね」
という事で、一番写真が撮りやすい関が原まで行ってきました。
正面はこんな感じ。
丸武産業さんの一番安い甲冑セットの鎧(襟は取り外し)と、同じく丸武産業さんの足軽用畳鎧にセットされてる篭手と脚絆、それから日よけ付きの陣笠を組み合わせました。
丸いボトルのような物は、鎧の肩から紐で吊るした口薬(点火用火薬)入れで、四角いポーチは早合(カートリッジ)入れ。
そして腰に竹水筒を吊るしました。
写真には写ってないですが、竹水筒の横には小道具などを入れたズタ袋も吊るしてます。
肩から掛けているのは、以前紹介した数珠打飼、腰に巻いているのは普通の打飼袋です。
これはただの筒状にした帯で、物を入れてこのように腰に巻くか肩からたすき掛けにして携行したようです。
銃はご存知KTWのタネガシマ。
後面。
巨大な生●用ナ●キン(失礼w)みたいなのは、物を入れた打飼袋です。
戦国時代も後期になると、各自で煮炊きして飯を作っていたものが、陣釜と呼ばれる大釜をいくつも並べて飯を炊き、「曲げもの」と呼んだ曲げわっぱの様な弁当箱に飯を詰めて各自に支給したそうで、曲げわっぱはこのように打飼袋に詰めるか腰に吊るして携行したと考えられます。
資料によれば、銃を担う際はこのように、旧日本軍とは逆の左肩に、カラクリの部分が上になるようにしたそうです。
こうすれば鎧と擦れてカラクリが痛むような事も無く、また火縄の火の状態も一目で確認出来ますね。
大工をやってる先輩が、木を削って早合(カートリッジ)を作って来てくれたので、火薬を込める真似事を・・・
馬防柵のところでかまえてみました。
因みに刀ですが、普通の模造刀より10センチほど短い物をわざわざ作ってもらいました。
相手方に突撃してやり合うのは槍足軽とかのお仕事で、鉄砲足軽はふい打ちされた時などは除いて接近戦に臨む事は少なく、長い刀は鉄砲の操作の邪魔になるだけなので
「多分、普通に短めの物を使ってたんじゃないのかな」
と考えたためです。
刀はサラシで作った巻き帯を使って、鎧の下に差しました。
ドラマや映画の足軽は、鎧の上に帯を巻き、そこに刀を差している事が多いですが、これだと鎧を脱ぐには刀も外す必要が有り、それだと手間がかかるし、その間は丸腰にもなるので、実際にはこのように着物の上に刀を差し、その上から鎧を着ていたようです。
続きはまた次回。
という事で、一番写真が撮りやすい関が原まで行ってきました。
正面はこんな感じ。
丸武産業さんの一番安い甲冑セットの鎧(襟は取り外し)と、同じく丸武産業さんの足軽用畳鎧にセットされてる篭手と脚絆、それから日よけ付きの陣笠を組み合わせました。
丸いボトルのような物は、鎧の肩から紐で吊るした口薬(点火用火薬)入れで、四角いポーチは早合(カートリッジ)入れ。
そして腰に竹水筒を吊るしました。
写真には写ってないですが、竹水筒の横には小道具などを入れたズタ袋も吊るしてます。
肩から掛けているのは、以前紹介した数珠打飼、腰に巻いているのは普通の打飼袋です。
これはただの筒状にした帯で、物を入れてこのように腰に巻くか肩からたすき掛けにして携行したようです。
銃はご存知KTWのタネガシマ。
後面。
巨大な生●用ナ●キン(失礼w)みたいなのは、物を入れた打飼袋です。
戦国時代も後期になると、各自で煮炊きして飯を作っていたものが、陣釜と呼ばれる大釜をいくつも並べて飯を炊き、「曲げもの」と呼んだ曲げわっぱの様な弁当箱に飯を詰めて各自に支給したそうで、曲げわっぱはこのように打飼袋に詰めるか腰に吊るして携行したと考えられます。
資料によれば、銃を担う際はこのように、旧日本軍とは逆の左肩に、カラクリの部分が上になるようにしたそうです。
こうすれば鎧と擦れてカラクリが痛むような事も無く、また火縄の火の状態も一目で確認出来ますね。
大工をやってる先輩が、木を削って早合(カートリッジ)を作って来てくれたので、火薬を込める真似事を・・・
馬防柵のところでかまえてみました。
因みに刀ですが、普通の模造刀より10センチほど短い物をわざわざ作ってもらいました。
相手方に突撃してやり合うのは槍足軽とかのお仕事で、鉄砲足軽はふい打ちされた時などは除いて接近戦に臨む事は少なく、長い刀は鉄砲の操作の邪魔になるだけなので
「多分、普通に短めの物を使ってたんじゃないのかな」
と考えたためです。
刀はサラシで作った巻き帯を使って、鎧の下に差しました。
ドラマや映画の足軽は、鎧の上に帯を巻き、そこに刀を差している事が多いですが、これだと鎧を脱ぐには刀も外す必要が有り、それだと手間がかかるし、その間は丸腰にもなるので、実際にはこのように着物の上に刀を差し、その上から鎧を着ていたようです。
続きはまた次回。