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2014年05月23日
鉄砲足軽 2
さて先日の続き。
大工をやってる先輩が、木製の盾まで作ってきましたw
これは「掻盾」とか「垣盾」とか呼ばれるもので、合戦で鉄砲の使用が主流になると、このように鉄砲の筒先を出すための「鉄砲狭間」が孔けられた物も登場したようです。
防御側は、このようにしっかりと作られた物を使用したと思われますが、「寄手」、すなわち攻略側は、相手の領地内で橋やら家屋敷やらの木材を引っ剥がして作製したので、こんな立派な物では無かったでしょう。
その土地に土着して暮らす庶民からしたら、戦になると直接自分の土地が広範囲に荒らされるため、本当にたまったものでは無かったろうと思います。
さらに現代とは違い、全ての物の生産性が低かった貧乏国日本では、なおさらだったと思います。
盾一つをとっても、そんな事が見えてきます。
裏側。
裏側は少し手抜きをしてるかな?
横木に穴を開けているのは、ここに足を取り付けて、軍議や飯を喰う時のテーブルとして使えるようにするためのものです。
先輩芸が細かい・・・w
狙いをつけてみました。
なかなかいい感じ。
そういえば今の警察でも、このようにピストルポートが孔けられた四角い防弾盾が制定されてましたね。
私が子供の頃は山口組と一和会の暴力団抗争、通称「山一抗争」の真っ只中だったので、神戸市内などで時折その盾を見かけたものです(苦笑)
先輩が持って来た長槍を貸してもらい、構えてみました。
3.5メートルそこそこの、そこそこ偉い人が持つような、少し装飾を施した長槍です。
槍足軽が持ってた長柄槍はもっと質素でもっと長く、織田信長などは
「長ければ長いほど戦では有利。また、強そうにも見える」
と考え、他の軍勢よりも1メートル程度長い、6.4メートル(三間半)の長柄槍を装備させたそうです。
オマケ
槍を振り回す先輩w
私信:G君、早く君も来たまえよ。
大工をやってる先輩が、木製の盾まで作ってきましたw
これは「掻盾」とか「垣盾」とか呼ばれるもので、合戦で鉄砲の使用が主流になると、このように鉄砲の筒先を出すための「鉄砲狭間」が孔けられた物も登場したようです。
防御側は、このようにしっかりと作られた物を使用したと思われますが、「寄手」、すなわち攻略側は、相手の領地内で橋やら家屋敷やらの木材を引っ剥がして作製したので、こんな立派な物では無かったでしょう。
その土地に土着して暮らす庶民からしたら、戦になると直接自分の土地が広範囲に荒らされるため、本当にたまったものでは無かったろうと思います。
さらに現代とは違い、全ての物の生産性が低かった貧乏国日本では、なおさらだったと思います。
盾一つをとっても、そんな事が見えてきます。
裏側。
裏側は少し手抜きをしてるかな?
横木に穴を開けているのは、ここに足を取り付けて、軍議や飯を喰う時のテーブルとして使えるようにするためのものです。
先輩芸が細かい・・・w
狙いをつけてみました。
なかなかいい感じ。
そういえば今の警察でも、このようにピストルポートが孔けられた四角い防弾盾が制定されてましたね。
私が子供の頃は山口組と一和会の暴力団抗争、通称「山一抗争」の真っ只中だったので、神戸市内などで時折その盾を見かけたものです(苦笑)
先輩が持って来た長槍を貸してもらい、構えてみました。
3.5メートルそこそこの、そこそこ偉い人が持つような、少し装飾を施した長槍です。
槍足軽が持ってた長柄槍はもっと質素でもっと長く、織田信長などは
「長ければ長いほど戦では有利。また、強そうにも見える」
と考え、他の軍勢よりも1メートル程度長い、6.4メートル(三間半)の長柄槍を装備させたそうです。
オマケ
槍を振り回す先輩w
私信:G君、早く君も来たまえよ。
2014年05月20日
鉄砲足軽 1
「どうせなら何か背景のある所で写真とりたいよね」
という事で、一番写真が撮りやすい関が原まで行ってきました。
正面はこんな感じ。
丸武産業さんの一番安い甲冑セットの鎧(襟は取り外し)と、同じく丸武産業さんの足軽用畳鎧にセットされてる篭手と脚絆、それから日よけ付きの陣笠を組み合わせました。
丸いボトルのような物は、鎧の肩から紐で吊るした口薬(点火用火薬)入れで、四角いポーチは早合(カートリッジ)入れ。
そして腰に竹水筒を吊るしました。
写真には写ってないですが、竹水筒の横には小道具などを入れたズタ袋も吊るしてます。
肩から掛けているのは、以前紹介した数珠打飼、腰に巻いているのは普通の打飼袋です。
これはただの筒状にした帯で、物を入れてこのように腰に巻くか肩からたすき掛けにして携行したようです。
銃はご存知KTWのタネガシマ。
後面。
巨大な生●用ナ●キン(失礼w)みたいなのは、物を入れた打飼袋です。
戦国時代も後期になると、各自で煮炊きして飯を作っていたものが、陣釜と呼ばれる大釜をいくつも並べて飯を炊き、「曲げもの」と呼んだ曲げわっぱの様な弁当箱に飯を詰めて各自に支給したそうで、曲げわっぱはこのように打飼袋に詰めるか腰に吊るして携行したと考えられます。
資料によれば、銃を担う際はこのように、旧日本軍とは逆の左肩に、カラクリの部分が上になるようにしたそうです。
こうすれば鎧と擦れてカラクリが痛むような事も無く、また火縄の火の状態も一目で確認出来ますね。
大工をやってる先輩が、木を削って早合(カートリッジ)を作って来てくれたので、火薬を込める真似事を・・・
馬防柵のところでかまえてみました。
因みに刀ですが、普通の模造刀より10センチほど短い物をわざわざ作ってもらいました。
相手方に突撃してやり合うのは槍足軽とかのお仕事で、鉄砲足軽はふい打ちされた時などは除いて接近戦に臨む事は少なく、長い刀は鉄砲の操作の邪魔になるだけなので
「多分、普通に短めの物を使ってたんじゃないのかな」
と考えたためです。
刀はサラシで作った巻き帯を使って、鎧の下に差しました。
ドラマや映画の足軽は、鎧の上に帯を巻き、そこに刀を差している事が多いですが、これだと鎧を脱ぐには刀も外す必要が有り、それだと手間がかかるし、その間は丸腰にもなるので、実際にはこのように着物の上に刀を差し、その上から鎧を着ていたようです。
続きはまた次回。
という事で、一番写真が撮りやすい関が原まで行ってきました。
正面はこんな感じ。
丸武産業さんの一番安い甲冑セットの鎧(襟は取り外し)と、同じく丸武産業さんの足軽用畳鎧にセットされてる篭手と脚絆、それから日よけ付きの陣笠を組み合わせました。
丸いボトルのような物は、鎧の肩から紐で吊るした口薬(点火用火薬)入れで、四角いポーチは早合(カートリッジ)入れ。
そして腰に竹水筒を吊るしました。
写真には写ってないですが、竹水筒の横には小道具などを入れたズタ袋も吊るしてます。
肩から掛けているのは、以前紹介した数珠打飼、腰に巻いているのは普通の打飼袋です。
これはただの筒状にした帯で、物を入れてこのように腰に巻くか肩からたすき掛けにして携行したようです。
銃はご存知KTWのタネガシマ。
後面。
巨大な生●用ナ●キン(失礼w)みたいなのは、物を入れた打飼袋です。
戦国時代も後期になると、各自で煮炊きして飯を作っていたものが、陣釜と呼ばれる大釜をいくつも並べて飯を炊き、「曲げもの」と呼んだ曲げわっぱの様な弁当箱に飯を詰めて各自に支給したそうで、曲げわっぱはこのように打飼袋に詰めるか腰に吊るして携行したと考えられます。
資料によれば、銃を担う際はこのように、旧日本軍とは逆の左肩に、カラクリの部分が上になるようにしたそうです。
こうすれば鎧と擦れてカラクリが痛むような事も無く、また火縄の火の状態も一目で確認出来ますね。
大工をやってる先輩が、木を削って早合(カートリッジ)を作って来てくれたので、火薬を込める真似事を・・・
馬防柵のところでかまえてみました。
因みに刀ですが、普通の模造刀より10センチほど短い物をわざわざ作ってもらいました。
相手方に突撃してやり合うのは槍足軽とかのお仕事で、鉄砲足軽はふい打ちされた時などは除いて接近戦に臨む事は少なく、長い刀は鉄砲の操作の邪魔になるだけなので
「多分、普通に短めの物を使ってたんじゃないのかな」
と考えたためです。
刀はサラシで作った巻き帯を使って、鎧の下に差しました。
ドラマや映画の足軽は、鎧の上に帯を巻き、そこに刀を差している事が多いですが、これだと鎧を脱ぐには刀も外す必要が有り、それだと手間がかかるし、その間は丸腰にもなるので、実際にはこのように着物の上に刀を差し、その上から鎧を着ていたようです。
続きはまた次回。
2014年05月18日
戦国コス
2013年12月05日
小ネタ
2013年11月16日
早合入れ 作り直し
以前に作った早合入れ。
作ったは良いけど、胴乱にしては厚みが有り過ぎるし、やはり早合を入れるには箱の深さが足りないと思って、どうしたら良いか悶々としておりました。
先輩に相談したところ「ダンボールを芯にして新規に形起こして作れば?」と言われたものの、すぐに潰れてしまいかねない物は、やはり気にいらない・・・
警察や警備員が使う鍵カバンでも改造しようとしたものの、ゴツい止め金具が外せるか分からない・・・
「何か良い手は無いものか・・・」
と思い、ふらりと入ったニトリで、一個だけ残ってたコレを発見。
もうちょっと横に長いプラスチック箱ならさらに良かったのだけど、これくらいの大きさの物も有ったのは知ってたので、これに以前使った糊付きの合成皮革を貼って、新規製作することに。
蓋は当初、もう少し凝った物にしたかったですが
「足軽のだから、こんなんでも別に良いか・・・」
と、あっさり挫折。
後で蓋に家紋シールを貼って、カッコ良くしてやろうと思います。
腰に括りつけるための紺色の紐は、本物の火縄です。
いざという時の非常用として、胴乱の縛着用にこうして火縄を用いる事も多かったそうです。
まー本当は、先日買ったこの火縄が、KTWのタネガシマに着けるには太すぎたためでもあるのですが・・・
裏はこんな感じ。
裏は見えないと思って、超適当ですw
この手の金具、最近ホームセンター行っても、なかなか見つかりませんなぁ・・・
2013年11月09日
打飼袋
そろそろ甲冑着込んでも大汗かく季節では無くなってきので、仲間内で撮影会やろうと画策中ですが、肝心の私がまだ装備が揃えきってない状況・・・
なので最近は使える物はないかと、ネット検索したり、ホームセンターうろついたりしてます。
で、今日は数珠打飼を作ってみました。
着物の腰または甲冑の草摺を吊るす「おどし」の所に巻く「巻帯」として、木目の細かい最上質のサラシを一反買ったので、その余りで作成。
筒状になるように反物を四つ折にしてミシンで縫って裏返して、数珠玉になるように凧糸で一つ一つ括って、完成。
中身は、捨てるつもりだった古い座布団の中綿です。
まさか本当に干し飯やら焼味噌玉を入れるわけにはいきませんからねぇ・・・
玉が少し小さい気もするけど、反物を二つ折にして筒袋にしたのでは、今度は行動の邪魔になるくらい玉が大きくなるので、まーこれでも良いかと思ってます。
付け方は、よく襷がけにしている人を見ますが、江戸時代に発行された「雑兵物語」によれば、襟首の後ろ真ん中に結び目が来るように首に引っ掛けると、鉄砲を撃つ時や弓を射る時に邪魔にならない、と書かれています。
つまり、袋を腰の後ろから回してきて襟首後ろで括る、という付け方が基本だったようです。
アンドレア・ミニチュアズHPより
因みにこの袋の中身の保存食ですが、一説によると、下知(命令)が無いと食べてはいけない緊急用食料だったとか。
それが本当だとすると、戦国期の非常用レーションだったんですねぇ。
さて腰袋はもう作ったし、あとは早合(カートリッジ)入れを作り直すのと、旗竿を作るのみかな。
なので最近は使える物はないかと、ネット検索したり、ホームセンターうろついたりしてます。
で、今日は数珠打飼を作ってみました。
着物の腰または甲冑の草摺を吊るす「おどし」の所に巻く「巻帯」として、木目の細かい最上質のサラシを一反買ったので、その余りで作成。
筒状になるように反物を四つ折にしてミシンで縫って裏返して、数珠玉になるように凧糸で一つ一つ括って、完成。
中身は、捨てるつもりだった古い座布団の中綿です。
まさか本当に干し飯やら焼味噌玉を入れるわけにはいきませんからねぇ・・・
玉が少し小さい気もするけど、反物を二つ折にして筒袋にしたのでは、今度は行動の邪魔になるくらい玉が大きくなるので、まーこれでも良いかと思ってます。
付け方は、よく襷がけにしている人を見ますが、江戸時代に発行された「雑兵物語」によれば、襟首の後ろ真ん中に結び目が来るように首に引っ掛けると、鉄砲を撃つ時や弓を射る時に邪魔にならない、と書かれています。
つまり、袋を腰の後ろから回してきて襟首後ろで括る、という付け方が基本だったようです。
アンドレア・ミニチュアズHPより
因みにこの袋の中身の保存食ですが、一説によると、下知(命令)が無いと食べてはいけない緊急用食料だったとか。
それが本当だとすると、戦国期の非常用レーションだったんですねぇ。
さて腰袋はもう作ったし、あとは早合(カートリッジ)入れを作り直すのと、旗竿を作るのみかな。
2013年10月27日
和歌山城へ
さて、先週の関ヶ原合戦祭りが大雨だったせいで燃焼不良なので、今日はそれを晴らすべく、和歌山まで行って来ました。
和歌山市に行く前に、厨房の頃にキャンプへ行き、公衆便所でメタンガス中毒で軽く死にかけた思い出の地、友ヶ島要塞への船が出ていた加太の港に寄ってみましたが、人形供養で有名な神社への参拝者と船釣りに来た人でごった返してて、とても車なんか停められる状態では無かったので、あえなく海の幸を食べる事を諦め、とりあえずお城へ。
お城のある街って良いですよねぇ・・・。
大手門
え~と、何門だっけ・・・
天守郭への入場料は大人¥400-
内部の撮影は御法度。
色々な甲冑や槍先が間近で見られて眼福。
でも鉄砲は状態の悪いものばかりでしたね。
雑賀衆の居た街の割に・・・
天守閣からの街の眺め。
私が天守郭に入った時は丁度昼時で見学者は少なめでしたが、外に出たら入れ違いで、昼食を終えてすぐ後にここへ来たらしい、中国語をしゃべる一団が大勢来まして
「カチ合わなくて良かったなぁ。おかげでゆっくりじっくり展示物や風景が見られたよ。」
と思いました。
割と垢抜けた格好をしてたから、台湾からの人たちでしょうかね?
二の丸横にある紅葉渓庭園
コスプレして撮影に来てた女性たちが居ましたね。
場内で、コスプレ姿で来ていた女性たちを3・4組は見ました。
銀魂の沖田(沖田って金髪だったっけ・・・)とBASARAの政宗様と兼続くらいは分かったけど、後は何だったのか・・・
みんなスタイル良くて綺麗な女性だったなぁ・・・。
和歌山城へ行った後は、雑賀衆のアンテナショップ「孫市城」へ買い物へ行ってみたのですが、城主が出陣中の為にお休み・・・
クリアファイルは買えたけど、ゴム鉄砲も欲しかった・・・通販で買うか・・・。
和歌山市に行く前に、厨房の頃にキャンプへ行き、公衆便所でメタンガス中毒で軽く死にかけた思い出の地、友ヶ島要塞への船が出ていた加太の港に寄ってみましたが、人形供養で有名な神社への参拝者と船釣りに来た人でごった返してて、とても車なんか停められる状態では無かったので、あえなく海の幸を食べる事を諦め、とりあえずお城へ。
お城のある街って良いですよねぇ・・・。
大手門
え~と、何門だっけ・・・
天守郭への入場料は大人¥400-
内部の撮影は御法度。
色々な甲冑や槍先が間近で見られて眼福。
でも鉄砲は状態の悪いものばかりでしたね。
雑賀衆の居た街の割に・・・
天守閣からの街の眺め。
私が天守郭に入った時は丁度昼時で見学者は少なめでしたが、外に出たら入れ違いで、昼食を終えてすぐ後にここへ来たらしい、中国語をしゃべる一団が大勢来まして
「カチ合わなくて良かったなぁ。おかげでゆっくりじっくり展示物や風景が見られたよ。」
と思いました。
割と垢抜けた格好をしてたから、台湾からの人たちでしょうかね?
二の丸横にある紅葉渓庭園
コスプレして撮影に来てた女性たちが居ましたね。
場内で、コスプレ姿で来ていた女性たちを3・4組は見ました。
銀魂の沖田(沖田って金髪だったっけ・・・)とBASARAの政宗様と兼続くらいは分かったけど、後は何だったのか・・・
みんなスタイル良くて綺麗な女性だったなぁ・・・。
和歌山城へ行った後は、雑賀衆のアンテナショップ「孫市城」へ買い物へ行ってみたのですが、城主が出陣中の為にお休み・・・
クリアファイルは買えたけど、ゴム鉄砲も欲しかった・・・通販で買うか・・・。
2013年10月21日
関ヶ原へ
雨が降ってるというのに、朋友達と行ってきました関ヶ原合戦祭り。
初日から降る雨のため、臨時駐車場は地面グチョグチョでした。
消防団の長靴を持ってきてよかった・・・
まずは、いつもの歴史民族資料館へ。
今回の展示は鉄砲と中筒でした。
KTWのタネガシマ買ったトコでしたから、色々勉強になりました。
そして、ギアチェンジに慣れないマイクロバスだからか、役場職員?の微妙にヤケクソっぽい運転が
「まるで二・三十年前の護送車みてぇ・・・」
とすら感じたシャトルバスに乗って、資料館裏から笹尾山まで。
笹尾山駐車場で何か出店は出てると思ったのですが、全滅・・・。
で、本日のもう一つの目的「ドリフターズ原画展」に行ってみたら、こっちは女の子たちでゴイスーな行列。
「コミケの待機列に比べたらどうと言う事は無いが、今日はその手の装備は持って来て無いからな・・・」
という事で、すごすご退散しました。
私だけピンでここへ来てれば並んだかもしれませんが、朋友を待たせるワケにはいきませんからね。
いやぁそれにしてもドリフがこれほど女性に人気があるとは思いませんでした。
で、また役場まで戻ってきて、ホールで雨天プログラムの催しを見ようとしたのですが、内部はすでに満員。
なのでこちらもすごすごと退散し、東首塚にお参りしてから撤収しました。
その後は国友鉄砲の資料館へ。
色々な鉄砲を見ながら先輩のレクチャーを受ける事が出来て、非常に有益でした。
カラクリは外してあったけど、本物の鉄砲も構える事が出来たし。
館内撮影禁止なので、写真が撮れなかったのが残念・・・
あとは彦根に立ち寄ってもらって、戦国丸さんで大谷吉継の軍旗と西軍の手ぬぐいを買って帰りました。
うーん、秋のイベントがこれだけってのは、やっぱり消化不良だなぁ・・・
2013年06月08日
早合入れ のような物
KTWのタネガシマも発売されましたし、秋以降の戦国イベントに向けて、足軽の持ち物を整える事を始めました。
鎧兜とかは現代甲冑とかで揃えられますが、小物系は自分で作ったりする必要があるんですな。
その第一弾として、早合入れのような物を作ってみました。
いわゆる「胴乱」ですね。
少し調べてみると、革製のポーチ形式の物、漆などの塗り物を塗った木箱形式の物、紙箱を革で包んだ物、藁や紙こよりで織られたポーチ形式の物など、様々な物があるようで・・・
その中で、一番作りやすいと考えた、紙箱を革で包んだ形式の物を作ってみました。
まずは100均で紙箱を買ってきて
次は、ステッカーのように裏紙を剥がせばそのまま貼れる合成皮革を買ってきて
箱の大きさに合う家紋ステッカーを買ってきて
一気にそれらを貼り付け
あとは蓋を止めるための紐(紳士靴用の蜜蝋に浸した靴紐)と、何かの獣の角から削り出したボタンを着けて、一応完成。
蓋に付けた丸い金具は、ロシア軍の制服用兵科襟章の裏座金。
そういえば最近この兵科襟章買っても、この丸い座金が付いてないのばっかりなんだよなぁ~
廃止されちゃったのかな・・・
作ってから思ったのですが、早合を入れるには、縦のサイズが少々短すぎたような・・・
でも私、鉄砲演舞の人たちがよく着けている巨大な早合入れって、時代考証的にはオーバーサイズ過ぎて、あまり好きでは無いんですよね・・・
(オーバーサイズである理由は知っているので、悪口を言うつもりはありません)
裏側は、ベルト通しを付けようか、はたまたDリング付きの金具を着けて帯で腰に縛着するようにするか、只今検討中・・・
鎧兜とかは現代甲冑とかで揃えられますが、小物系は自分で作ったりする必要があるんですな。
その第一弾として、早合入れのような物を作ってみました。
いわゆる「胴乱」ですね。
少し調べてみると、革製のポーチ形式の物、漆などの塗り物を塗った木箱形式の物、紙箱を革で包んだ物、藁や紙こよりで織られたポーチ形式の物など、様々な物があるようで・・・
その中で、一番作りやすいと考えた、紙箱を革で包んだ形式の物を作ってみました。
まずは100均で紙箱を買ってきて
次は、ステッカーのように裏紙を剥がせばそのまま貼れる合成皮革を買ってきて
箱の大きさに合う家紋ステッカーを買ってきて
一気にそれらを貼り付け
あとは蓋を止めるための紐(紳士靴用の蜜蝋に浸した靴紐)と、何かの獣の角から削り出したボタンを着けて、一応完成。
蓋に付けた丸い金具は、ロシア軍の制服用兵科襟章の裏座金。
そういえば最近この兵科襟章買っても、この丸い座金が付いてないのばっかりなんだよなぁ~
廃止されちゃったのかな・・・
作ってから思ったのですが、早合を入れるには、縦のサイズが少々短すぎたような・・・
でも私、鉄砲演舞の人たちがよく着けている巨大な早合入れって、時代考証的にはオーバーサイズ過ぎて、あまり好きでは無いんですよね・・・
(オーバーサイズである理由は知っているので、悪口を言うつもりはありません)
裏側は、ベルト通しを付けようか、はたまたDリング付きの金具を着けて帯で腰に縛着するようにするか、只今検討中・・・
2012年10月21日
関が原 合戦祭り
さて今日は朝早くから友人・先輩と共に、関が原町で行われた合戦祭りに行ってきました。
岩国の航空祭同様、裏方の変な写真しか撮ってません(死)
私の家の家紋は「鷹の羽」で、「対い蝶」に変更する前の家紋と同じという点から、以前から大谷吉継に興味があったのですが・・・
大谷吉継が座乗する輿モドキ。
先輩が「ストレッチャー(担架)」と呼んでて思わず笑いましたw
まーホントに輿を担いだら、担ぎ手の足軽の具足が傷むもんなぁ・・・
でも大谷吉継って、自分の能力で輿を宙に浮かせられなかったっけ?(BASARAネタ)
飾りつけ中の馬。
足軽が手綱持ってるのがよいですね。
現代の馬。
役場のすぐ前の駐車場に停めてあった族車。
こんなイベントにもゾッキー来るんだ・・・。
まー田舎ですと、どんなイベントにもゾッキーが来ますもんね~。
昔、転勤先の田舎町の花火大会に行ったら、やはり端っこの方に特攻服着た暴走族が10人ほど来てたものの、他人に喧嘩を売ったり迷惑をかけるでもなくやたらと大人しく屯しているなぁと思ったら、彼らの周りを20人くらいの警官が遠巻きにぐるっと包囲してた事があったっけ・・・
馬に乗って行く東軍総大将。
一昨年の催しの時は、総大将も御自らテクテク歩いて合戦場まで来てましたが・・・
演舞前の鉄砲隊。
マトモな写真はこんくらい。
岩国の航空祭同様、裏方の変な写真しか撮ってません(死)
私の家の家紋は「鷹の羽」で、「対い蝶」に変更する前の家紋と同じという点から、以前から大谷吉継に興味があったのですが・・・
大谷吉継が座乗する輿モドキ。
先輩が「ストレッチャー(担架)」と呼んでて思わず笑いましたw
まーホントに輿を担いだら、担ぎ手の足軽の具足が傷むもんなぁ・・・
でも大谷吉継って、自分の能力で輿を宙に浮かせられなかったっけ?(BASARAネタ)
飾りつけ中の馬。
足軽が手綱持ってるのがよいですね。
現代の馬。
役場のすぐ前の駐車場に停めてあった族車。
こんなイベントにもゾッキー来るんだ・・・。
まー田舎ですと、どんなイベントにもゾッキーが来ますもんね~。
昔、転勤先の田舎町の花火大会に行ったら、やはり端っこの方に特攻服着た暴走族が10人ほど来てたものの、他人に喧嘩を売ったり迷惑をかけるでもなくやたらと大人しく屯しているなぁと思ったら、彼らの周りを20人くらいの警官が遠巻きにぐるっと包囲してた事があったっけ・・・
馬に乗って行く東軍総大将。
一昨年の催しの時は、総大将も御自らテクテク歩いて合戦場まで来てましたが・・・
演舞前の鉄砲隊。
マトモな写真はこんくらい。